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盛岡家庭裁判所 昭和59年(家)535号 審判 1984年9月20日

申述人 後藤ミヨ 外七名

主文

申述人らの相続放棄の申述をいずれも却下する。

理由

一  本件申述の要旨

(1)  申述人後藤ミヨ(以下、「申述人ミヨ」というようにいう)は被相続人後藤信三(明治三八年一二月一二日生)の妻であり、その余の申述人らはいずれもその子であるところ、被相続人は昭和五九年一月一二日に死亡した。

(2)  被相続人は、生前司法書士をしており、以前には所有不動産などがあつたが、死亡の時にはすべて人手に渡つていて、遺産(積極財産)は何も存しなかつた。

(3)  申述人らは、被相続人の債務の存否については、よく分らなかつたが、最近に至り、青森市大字○○字○○×××番地×五十嵐学外一名から、被相続人に一二〇〇万〇八四三円の損害賠償請求権があるとのことで、申述人らを相手に盛岡地方裁判所に訴訟(昭和五九年(ワ)第一五五号事件)を提起され、初めて具体的に債務の存することが判明し、申述人らのために相続の開始があつたことを知つた。

(4)  被相続人は、以前自分の所有不動産を譲渡担保に供した際、担保権者が前記五十嵐らに売り渡したため、被相続人と五十嵐らとの間で訴訟が提起され、長いこと紛争が続いていた。

(5)  申述人健二は、盛岡市役所職員であり、被相続人と五十嵐らとの間において訴訟で争われていたことは以前から聞いていたが、その詳細は知らなかつた。

同申述人は、被相続人死亡の翌日の午前中に五十嵐に電話し、被相続人が長い間訴訟を続け、迷惑をかけたことを謝つた。それに対し、五十嵐は、係争物たる建物を明渡してくれさえすれば、あとは何もいらないとのことであつた。申述人健二がお詫びに出向きたいと言つたところ、五十嵐は、わざわざ来てもらわなくてもよい、明渡してさえもらえばいいと重ねて言つてくれた。そして、同日付で五十嵐から弔電と香奠三〇〇〇円の送付を受けた。その段階で、多額の債権があるとか、それを請求するとかの話をされていれば、申述人らは直ちに相続放棄の手続をとつていたのである。

(6)  以上の次第であるから、申述人らは、今回五十嵐らが訴訟を提起したことに非常に驚いている。従つてまた、本件の場合には、今回の訴状が申述人らへそれぞれ送達された昭和五九年五月一七日ころをもつて、申述人らは自己のために相続の開始があつたものというべきである。なお、現在までに申述人らが被相続人の債務につき請求を受けたものは、五十嵐らの件以外にはない。

(7)  よつて、申述人らの相続放棄の申述を受理されたく、本申立に及ぶ。

二  当裁判所の判断

(1)  申述人ら提出の戸籍謄本七通、昭和五九年五月一日付訴状、口頭弁論期日呼出・答弁書催告状及び申述人健二、同ミヨに対する各審問の結果によれば、上記一の(1)、(2)の各事実のほか、申述人らは、いずれも被相続人死亡当時、その死亡の事実及びこれにより自己が相続人となつた事実を知つたが、相続放棄の申述手続をせず、昭和五九年四月一二日の経過により法定の相続放棄の熟慮期間を徒過したこと、申述人らは、被相続人が五十嵐学及び谷村三好共有の別紙物件目録記載の土地、建物(以下「本件不動産」という)を昭和四四年三月六日以降不法に占拠し、居住していた賃料相当損害金一二〇〇万円余の債務を負担していたところ、被相続人の死亡により、申立人らが同債務を相続したとして、上記五十嵐らから盛岡地方裁判所に損害賠償請求の訴(盛岡地裁昭和五九年(ワ)第一五五号)を提起され、上記熟慮期間経過後の昭和五九年五月一七日すぎころ、同裁判所よりその訴状副本等の送達を受けて驚き、同年六月一日本件相続放棄申述をなしたことが認められる。

(2)  ところで、申述人らは、被相続人死亡の翌日、五十嵐から被相続人が不法占拠していた本件不動産の明渡を受けさえすれば、他は何もいらない旨言われたため、被相続人には五十嵐らに対する本件不動産明渡債務以外に債務はないものと信じ、熟慮期間内に相続放棄の手続をとらなかつたものであるから、本件相続放棄の熟慮期間の始期は、上記訴状副本送達のあつた昭和五九年五月一七日ころとすべきである旨主張するので検討する。

前示資料のほか、申述人ら提出の判決正本写二通、決定正本写一通、電報写一通及び申述人健二作成の申述書を総合すると、次の事実が認められる。

(イ)  被相続人は、その所有の本件不動産に妻である申述人ミヨと共に居住し、司法書士の仕事をしていたが、二〇〇万円の借金のため本件不動産を譲渡担保に供し、弁済できずに本件不動産は人手に渡つた。

(ロ)  その後、銀行員をしていた五十嵐学とその伯父の谷村三好が昭和四四年三月六日ころ共有名義で本件不動産を取得し、同人らは被相続人に対し本件不動産の明渡を求めたが、これに応じなかつたため訴訟となり、昭和四五年四月二日五十嵐らが勝訴判決を得たものの、被相続人が控訴し、控訴審において両者間に和解が成立し、被相続人が本件不動産を五十嵐らから買受けることにした。しかし、被相続人は、約定の期限まで本件不動産の売買代金四〇〇万円を支払えなかつたため、売買契約は解消となり、五十嵐らから和解調書に基づく本件不動産明渡の強制執行の申立がなされ、これに対し被相続人は、昭和四九年九月三日請求異議の訴を提起し、一、二審、上告審とも被相続人の敗訴に終つたのに、被相続人は更に特別上告し、昭和五八年九月二六日特別上告却下決定がなされ、一四年間余に亘る五十嵐らと被相続人との本件不動産に関する紛争は終結した。その間、被相続人は、当初、本件不動産の所有権が自己に属していないことを認める態度を示しながら、その後本件不動産の所有権の帰属を争う態度に変り、上記のとおり抗争を続けて本件不動産に居住し、所有者五十嵐らに対して本件不動産の使用料等を支払うことなく、また、請求異議事件の敗訴判決確定後も本件不動産の任意明渡をせずに死亡した。

(ハ)  申述人ミヨは、被相続人の妻で、被相続人死亡まで同人と共に本件不動産の家屋に居住していた。申述人健二(昭和一四年五月一〇日生)は、被相続人の二男で、○○市役所に勤務し、申述人修三(昭和一六年三月八日生)は三男で、不動産業及び行政書士をしており、申述人公男(昭和一八年二月一六日生)は四男で、○○日報に勤務し、申述人正吾(昭和二四年五月八日生)は五男で、○○県職員として働き、申述人和夫(昭和二七年二月一〇日生)は六男で、家具販売会社に勤務し、いずれもそれぞれ家庭を持ち、盛岡市内に居住している。申述人浅川せつ(昭和二〇年一月二一日生)は、被相続人の長女で、昭和四六年結婚して盛岡市近在の○○村に居住し、申述人白石みち(昭和二二年七月二〇日生)は二女で、昭和五四年結婚し、茨城県内に住んでいる。申述人らは、被相続人の許から独立してからも、しばしば被相続人夫婦の許を訪れ、交流を続けていた。

(ニ)  被相続人は、その死亡二、三年前から健康を害して司法書士の仕事を中止し、前記訴訟終結後の昭和五八年一〇月に肺癌と診断されて入院したが、容体は悪化していつた。そこで、申述人修三が被相続人の債務を調査したところ、司法書士の業務上、依頼者らに返還しなければならない債務のあることが判明し、被相続人の蔵書の売却代金一〇三万円と申述人健二、同公男が各四五万円、申述人修三が五〇万円の拠出金とで各支払をなし、被相続人の生存中の昭和五八年中にその債務を整理した。

(ホ)  申述人らは、五十嵐らとの間の訴訟で被相続人が敗訴し、本件不動産を明渡さなければならないことは承知していたが、世間体もあつて被相続人の葬儀を被相続人が永年住んでいた本件不動産内で行いたいと考えていたのに、その旨の連絡を五十嵐らにせずにいたところ、被相続人死亡の翌日午前中に青森市内に住む五十嵐から弔電と香奠とが送られてきた。そこで、申述人健二は、訴訟終了以降、五十嵐らに対し、本件不動産明渡につき何ら挨拶をしていなかつたことに気付き、同日五十嵐に電話をかけて被相続人が永い間迷惑をかけたことを詫びると共に、本件不動産を被相続人の葬儀を済ました後、二月上旬に明渡す、改めてお詫びのため五十嵐方へ参上する旨伝えた。これに対し、五十嵐は、葬儀が済み、整理がついたのち本件不動産を明渡してもらえばよい、わざわざ青森まで詫びに来なくてもいいから、明渡が済んだら電話で連絡くれればよい旨の返答をした。

(ヘ)  申述人健二は、五十嵐の返答を好意的なものと受取り、本件不動産の明渡が済めば五十嵐らとの問題は一切清算できるものと考えて安堵し、本件不動産で葬儀をとり行い、その際集まつた弟妹達にも五十嵐に電話したことを伝え、明渡が済めば一切終る旨話した。

(ト)  申述人らは、昭和五九年二月九日ころ、本件不動産の明渡を完了し、被相続人の債務は全くないものと思い、また、積極遺産も中古の家具類と売れそうもない書籍程度であつたため、遺産分割の話し合いも、相続放棄の申述手続もせずに過したところ、五十嵐及び谷村から、熟慮期間経過後間もなくの同年五月一日付訴状で申述人らを被告として前記訴を提起された。

以上の事実を認めることができる。

なお、申述人健二に対する審問の結果中の「家屋と土地を明渡して貰えれば、損害などはとらない」との供述部分及び審問期日の翌日提出された同申述人作成の申述書中の「あとは、明け渡してもらえば、訴訟をしていた一八年分の家賃については、請求する気はありませんし、残つた兄弟の人達を相手に訴訟をする気もありません。」との記載部分は、以下に述べる理由により信用しない。すなわち、上記認定のように五十嵐らが本件不動産を取得してから前記訴訟終了までの期間に一四年半ぐらいであるのに、五十嵐が「訴訟をしていた一八年分の家賃云々」などと言つたとするのは不自然であるし、本件相続放棄の申述書は、弁護士である申述人ら代理人が最高裁判所昭和五九年四月二七日第二小法廷判決を踏まえたうえ、申述人健二らからの事情の聴取及び提出の証拠資料等に基づいて作成したものと認められるところ、五十嵐が申述人健二に対し、訴訟中の賃料相当損害を請求するつもりはないとか、相続人を相手に訴訟をする気はない旨述べたとの事実は、申述人らが被相続人に債務が全くないと信ずるについて相当な理由があることを推認させるに足る重要な事項であるのに、本件相続放棄の申述書の「申述の実情」欄では全くそのような主張はなされておらず、むしろ、申述の実情四の後段〔前記一の(5)〕では、「その段階で、多額の債権があるとか、それを請求するとかの話をされていれば、申述人らは直ちに相続放棄の手続をとつていたのである」と述べ、申述人らは、被相続人が五十嵐らに対し、賃料相当損害金債務を負担しているか否かにつき全く思いを至していなかつた旨の主張をしているのである。 以上の諸点に照らすと、申述人健二は、申述人ら代理人からの事情聴取に際し、前記供述部分、記載部分に見られるような事実を述べなかつたし、それを述べなかつたのは、そうした事実はなかつたからであると認めざるを得ないからである。他に前記認定に反する資料はない。

そこで、前記認定の諸事実を基礎に、申述人らが法定の熟慮期間以内に相続放棄をしなかつたのが、債務が全く存在しないと信じたためであり、そのように信ずることについて相当な理由があつたか否かについて検討する。

前記認定の事実によると、五十嵐が訃報も受けないのに、被相続人死亡の翌日逸早く香奠や弔電を送つたり、申述人らが相続放棄の熟慮期間を徒過するのを待つていたかのように、申述人らを被告として損害賠償請求訴訟を提起した遣り口からして、申述人健二からの電話の際、被相続人との従来のことにつき一切恨みつらみを言わず、また、賃料相当損害金の点に触れずに申述人健二をして好意的と思わせる態度を取つたのも、申述人らに相続放棄の必要を感じさせなくしようという下心からのものと思われる節もないではなく、不明朗なものが感じられるが、反面、申述人らは、遅くとも被相続人が死亡したころは、同人が五十嵐らとの間で一四年余にも亘つて本件不動産の明渡に関し訴訟で争いを続けた末、被相続人に本件不動産の所有権なしとして敗訴した判決が確定し、本件不動産を明渡さなければならなくなつたこと、及び被相続人が盛岡市内にある本件不動産に居住し、多年に亘つて無償で不法に占拠した結果となり、五十嵐らに対し、不法占拠による多額の賃料相当損害金債務を負つたことを承知していたものと認められる。ところが、申述人健二は、単に本件不動産の明渡を葬儀が済み、整理がつくまでの間猶予したにすぎないと思われる前記五十嵐の言葉を聞き、本件不動産の明渡さえすれば良く、損害金債務については相続人全員につき免除を受けたものと勝手に思い込み、その旨を他の申述人らに伝えたもので、申述人健二のそのような思い込みは、その年齢、職業からしても軽卒と評するほかなく、また他の申述人らの中には不動産業兼行政書士をしている者が居るのであるから、五十嵐に対し、改めて損害金債務を免除する意思表示をしたかどうかを質し、場合によつては債務免除の意思表示を書面にしたためてもらうなどするほか、本件不動産のもう一人の共有者である谷村三好に対しても同様の確認をすべきであつたといわざるを得ない。以上のとおり、本件は、申述人らが被相続人の債務の存否につき不明であつたところ、熟慮期間経過後、突如として債権者が出現したというのではなく、債権者の存在は知つていたが、上記のような申述人らの軽卒な思い込みにより相続放棄の申述手続をしなかつたというもので、申述人らが債務が存在しないと信ずるについて相当な理由があつたということはできない。

(3)  してみると、本件申述は、熟慮期間起算日の繰り下げを認めるべき例外的場合に当らないことは明らかであり、いわゆる熟慮期間経過後の申述であるから、本件申述をいずれも不適法と認め、主文のとおり審判する。

(家事審判官 草野安次)

物件目録<省略>

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